面接という選考手法の限界について~そもそもなぜ企業はその限界に気づけないのか~
Noppo社労士事務所の養父です。
「なぜうちは、採用しても管理職候補が育たないんだろう?」
そんな疑問を持たないまま、同じ選考手法を繰り返している企業は少なくありません。
多くの企業が“面接”を採用活動の中心に据えていますが、そこで見えているのは本当に「人材の本質」なのでしょうか?
今回は、面接という選考手法の限界について、そもそもなぜ企業はその限界に気づけないのか、背景にある要因を紐解いてみます。
「面接=当たり前」という思い込み
多くの企業では、「採用=面接」という図式が常識になっています。
履歴書を見て、面接で話して、人柄や印象を見て決める・・・
これが当たり前すぎて、「他の方法は?」と考えたことすらない、というのが実情です。
でも、常識が正しいとは限りません。
むしろ、その「当たり前」に疑問を持たないことが、採用の失敗を繰り返す原因になっているかもしれません。
失敗の原因が、“選び方”ではなく“人”にされてしまう
採用の失敗は、「あの人はミスマッチだった」「なんであの人を選んだんだろう」と、
結果として“応募者”か“選んだ人(担当者)”のせいにされることが多いものです。
でも、本当に問題なのはそこでしょうか?
「この人は大丈夫だと思ったのに…」という失敗が何度も起きるなら、
そもそも「どうやって見極めているか」、つまり選び方そのものに原因があるのかもしれません。
にもかかわらず、多くの企業では、「選考のやり方を見直そう」という声はあまり上がらず、
「面接官の見る目が甘かった」
「判断が甘かった」
といったように、人の感覚や経験に責任が押しつけられて終わってしまいます。
「問題がない=成功」という錯覚
採用した人がすぐ辞めるわけでもなく、現場が大きな混乱もしていない・・・。
そうなると、「うちの採用は問題ない」と考えてしまいがちです。
しかしそれは、「採用がうまくいっている」のではなく、「問題がまだ表面化していないだけ」かもしれません。
気づいたときには、将来のリーダー候補が一人もいない、中堅層が育っていない・・・
という事態に陥っていることもあります。
「人を見抜ける」という過信
面接では、第一印象や受け答えから「この人は良さそうだ」と感じることがあります。
その感覚は、過去の経験知や直感から来るものであり、完全に否定すべきものではありません。
ただし、その印象や発言内容は、応募者が「良く見せようとした姿」である可能性が高いのです。
つまり、そもそも得られる情報が「本来のその人」を表していない。
そんな不確かな情報をいくら丁寧に統合しても、本質的な人物像にたどり着くことは難しいのです。
採用とは、人員補充採用を除き、組織の未来を託す人材を見極める行為です。
にもかかわらず、一時的な印象や表面的な言葉をもとに判断してしまっているのが、面接という手法の本質的な限界です。
「今は回っているから大丈夫」という油断
現場がある程度うまく回っていれば、「このままで大丈夫」と思いたくなるのが人間の心理です。
しかし、数年後を見据えたとき、任せられる人材がいない・・・
そう気づいたときには、もう遅いかもしれません。
日本全国で後継者問題が発生しているのも、経営者が先手を打って本気で採用をしてこなかった結果だったと
私は考えています。
採用は“未来への投資”
採用とは、「今」のためではなく、「未来」のための活動です。
にもかかわらず、多くの企業は、面接という曖昧で属人的な手法のまま、組織の未来を託する人材を選ぼうとしています。
これが、採用の質的な限界を生み出しているのです。
では、どうすればいいのか?
「人を見抜くことは、素人にはできない」。
これは決して厳しい言葉ではなく、真実です。
面接では、応募者の人間性や価値観、仕事への向き合い方といった、その人の「本質」に迫ることは困難です。
なぜなら、見えているのはあくまで「整えられた姿」にすぎないからです。
だからこそ必要なのが、行動そのものから内面を読み取るための、構造化された選考の仕組みです。
アセスメントセンターでは、応募者が実際に行動をとる様子を、第三者が多面的に観察・評価します。
設定される場面は、日常的な業務に近い平時の場面だけでなく、
トラブル対応や利害の衝突
正解のない課題など、
予測不能で負荷のかかる「有事の状況」も科学的に設計されています。
そうした場面では、応募者自身も意識していないような無意識の行動や反応が現れやすく、
結果として、その人の内面や本質的な傾向、仕事上の強みやリスクが浮き彫りになるのです。
自社の未来を本気で考えるなら、「今の選び方で、“本当のその人”が見えているのか?」と、
一度立ち止まって問い直してみるべきではないでしょうか。