こちらでは、社労士になったキッカケをお伝えしていきたいと思います。

阪神淡路大震災をきっかけに…

原点は『阪神淡路大震災』まで遡ることになります。
TVに映る震災の現場を見て『現地に行って自分にできることはないか』と心が動いたことが全ての始まりでした。しかし、それまで自ら行動を起こそうとしたことがなかった私はどうしたら良いのかわからず、結局何も行動を起こすことができなかったのです。『一歩を踏み出す勇気』がそのときはまだありませんでした。

大学でのボランティア経験

ただ、その火種は自分の中で燻り続けていました。そして、京都産業大学へ進学。大学にはボランティアとしては珍しく、「クラブ」としてボランティアのサークルがありました。私は迷わず!(と言いたいところですが、若干やましい心がテニスサークルへ導こうとしておりました・・・が!)、そのクラブへの入部を決めました。クラブ名は『新社会ボランティアサークル』。このクラブでは、先輩・同輩・後輩に恵まれた大学生活を送ることができました。一部の仲間は、介護福祉業界に魅かれ、卒業後、その業界へ舵を切った方もいました。

社会保険労務士への道のり

その中で私は・・・

  • 折角ご縁のあった介護福祉業界という分野を外からサポートすることはできないか
  • 法律をベースにサポートすることはできないか(法学部に所属しておりましたので)
  • この【相談】ということを一生の仕事にできないか (このクラブで出会った友人たちとの相談に乗っているうちに…)
  • 自分には何も特技がない。社会に出てからの強みが欲しい
    (この当時は自分が持つ本当の長所を認識できず、”自信”が欲しかったのでしょう)

と考えたのです。

このテーマで探し続けていると・・・

社会保険・労働保険の手続き代行だけではない、今後はクライアントに対して

親身になって相談に応じる『心の相談家』 としての業務が大きなウェイトを占めてくる
それが『社会保険労務士』だ!

というある法律専門学校の宣伝文句が目に飛び込んできたのです!
(たぶん、何か勘違いをしたのではないかと今では思うのですが・・)
私は直感で『これだ!』と決めました。

○阪神淡路大震災 ○新社会ボランティアサークル ○人と心への興味 どれか一つが欠けても、私はきっと社会保険労務士になろうとは思わなかったでしょう。この3つの偶然の繋がりが私を社会保険労務士への資格取得へと導きました。どれも偶然といえば偶然でしょう。でも、『縁』があったのは間違いありません。そして、その中で少しずつ『一歩踏み出す勇気』を養っていったのです。

9ヶ月間の猛勉強と独立への道

私が社会保険労務士になることを決めてからは、受験時代にも一切見せたことがないほどの猛勉強、そして集中力でした。何事もキッカケというものは大切だと改めて認識させられます。クラブ・講義は休まず、アフター(遊び・呑み)等の甘い誘惑を振り切りました(クラブの仲間からは養父がおかしくなったとまで言われ・・・)。

「9ヶ月間」
無謀でしたが1日も休まず勉強を続け、ほぼ独学で奇跡的に合格。 (LECさんの自習室と短期講座にはお世話になりました)

大手企業での試練と成長

「そのままの勢いで独立開業!!」といきたいところでしたが、短期で受講した講座の社会保険労務士の方に相談したところ(基本的に、手堅く慎重です)、『専門バカになるより、まずは大手企業で社会人としての経験を積んだほうが確実に良いよ』という言葉を真に受けて(意外と素直なんです)、一部上場の製造業へ就職しました(阪神淡路大震災との関係もある会社で、勝手に縁を感じてました)。

そのメーカーでは、新人営業としては初めて「開設したばかりの支店」へと配属(通常は営業マンの数も多い大阪本社か東京支社へ配属されます)。しかも!最初の上司はなんと6ヶ月で希望退職(新卒を育てたいと言って新卒を求めたのに・・)。その次に着任した上司は年齢も 40代と私と20歳も離れており、加えて前の上司とは水と油の違いもある性格の持ち主の上司。もちろん水と油の『油?』のほうで、いわゆる”スパルタ上司”。週に1~2回の雷。本当に『雷』という表現が適切!と思えるほどの怒りっぷり(今でいうところのパワハラですよ。当時はそれが異常だだとも思っていませんでしたから危険ですよね・・)。

通常は、10分とか長くて30分とかだと思いますよね?これがまた普通では無い。平均して90分。最長3時間!最初の1時間はミスに対する叱責。その次の2時間は過去のミスに対する追及。そして最後の1時間は傾向と対策・・・。まぁ、3時間も説教できるのはこのときの上司ぐらいなもんじゃないでしょうか?(同じことを繰り返すので、”非生産的”とも言われていましたが、私もそう思います)。

それを「丸2年」。

(僕の中では、いくら何を言われても「僕は僕や」と思っていたから良かったものの、そうはならない人は極度の鬱になるかもしれません。「残念なマネジメント」と間違いなく言えますが、このようなマネジメントが実際は世の中で横行しているようにも思います)。

その期間中、再び社会保険労務士への思いが再燃したのですが、仕事も一人前にできていない、周囲からも一目も置かれていない、営業ノルマも達成できていない・・・というないない尽くしのこんな状況で独立したからといって、お客さんに満足できるサポートをできるわけがない!と踏み止まり、それからは余計なことを考えず仕事に没頭しました。業界・会社ともに右肩下がりの中、覚悟を決めて取り組んでからは人間関係や工場との関係が全てにおいて少しずつ好転していきます。

今思えばあの2年間が無ければ、考え方の甘かった私が更生されることは無かったことでしょう。 最後にその上司から『お前の心臓には毛が生えている!』とまで言わせた結果は良しでしょうか。。(実際はそんなことはなく、心は繊細なほうです)

その上司と離れ離れになったあとは、営業マンの数も多い東京支社へと転勤となり、そして、次の上司には認めてもらうことができ、全てを一任してもらうことに。
『養父、お前に任せるから』という言葉は今でも忘れられない重くも温かい言葉です。

「人からダイレクトに喜ばれる仕事がしたい」

その後、本当に一からの新規顧客開拓も経験。テレアポ・飛び込み・ダイレクトメールも売り上げ目標達成のため勝手に体験。 

また、独自にニュースレターを作成し、顧客に対して配布。どうすれば顧客に満足してもらえるかを試行錯誤していました。

すべて手書きのため手間が掛かりましたが、印象度は抜群でした。このニュースレターのお蔭で3000万の受注に結び付いたことも!!

その中でもずっと消えなかった気持ち、それが

「人からダイレクトに喜ばれる仕事がしたい」

という心から渇望する「思い」でした。

当然、営業をしていたので、お客さんから喜ばれることもあります。ただ、何か違う・・・

世の中が価格競争に傾注してきていて、人間関係や営業努力で受注できる時代ではなくなってきていました。

また、お客さんのためと思って、製品を作っている工場を動かそうにも、どうしてここまでご機嫌伺いをしなければ機嫌よく動いてくれないのかという疑問を拭えずにいました。そして、何のため、誰のために働いているのか本当に分からなくなってきていたのです。

その葛藤を抱え、まるで「深海をずっと歩いている」ような息苦しい感覚でした。
また、独立前に大手人材紹介会社へ紹介登録をしに行ったこともありました。
大学時代に4年間力を注いだことが介護・福祉であったことから、大手介護施設にマネージャー候補の試験を受けに行ったこともありました。

その中で、ふと立ち止まり、「自分って本当に何がやりたかったのだろうか・・・?」と思い巡らせていったときに再び脳裏に浮かんだものが「社会保険労務士」だったのです。

そして社会保険労務士へ…

「そうだ。僕は、社会保険労務士が本当にしたかったことだ。資格を取得したのはもう十数年も前の話だけど、原点はここだ。それも3度目の正直だ。ここまで思いを持っているのだから、開業する資格は十分にあるはずだ」

経験もノウハウも一切ありませんでしたが、意欲だけはギラギラと燃え、スイッチが再び入ったのです。そこから、知識をブラッシュアップし、情報収集を積み重ね、開業への道のりをひたすら走っていきました。

家族も含め周囲は止めました。当然です。

金も経験もコネもなく(何と知識も)、2度目とは意味の異なる「ないないづくし」での開業でしたし、世は寒風吹き荒ぶリーマンショックの直後でしたから。。ただ、母だけは賛成してくれていましたけどね・・。
※母はある総合卸売商社で毎年トップ10に入るようなトップセールスだった人でもあるので、親バカでもあったのでしょうが、私の営業力を認めてくれていた部分もあるのではないかと思います。実際、前職では上司のお陰もあって、ノルマをほぼ達成していましたし、特に粗利ノルマにはこだわって達成していました。社長賞を受賞したこともあります。

今思えば、全くの世間知らずで周りが見えていなかったのと思うのですが、それ以上に心が「人からダイレクトに喜ばれる仕事」を求めていたのでしょう。そこにどんな仕事があるかどうかも全く分かっていなかったにも関わらず・・・。

しかしながら、捨てる神あれば拾う神ありです。

たまたま講習で名刺交換をさせて頂いた同業の先輩、昔、自腹で自らの営業力を鍛えるために通っていたマーケティング塾時代に同じく名刺を交わしていた経営者の方と接点ができ、道が開けていったのです。

あの頃は、藁にもすがる思いでしたが、必死な思いがあったからこそ伝わったのだと思います(シビアな経営者でしたので、利害も当然一致していましたが気概を買ってもらった面は大きかったと思います)。

開業から自分の中で揺るぎない自信をつけるため3年間は無休を貫き(風邪で2日ほどのダウンのみ)、開業初年度から自分の(恐らく他人も)予想を大きく上回るほどの契約と売上を達成できたのも、ある意味「時代を読まなかった(バカだった)から」だと思います。

ガムシャラに契約を取ったために労力に見合わない報酬に苦しんだり、お客さんを判断する術も持っていなかったので精神的苦痛も味わいました。しかしそれも、すべて今のコンサルティングや人を見極める技術の向上に活かされています。

そして、何より念願だった「人からダイレクトに喜ばれる仕事」

「そんな仕事がこの世にあるのか・・・」と悩み抜いた過去の自分に伝えてあげたいです
(苦しい思いをした過去に決して戻りたくはありませんが・・・)。

「求めればきっと辿り着けるよ」と。

社会保険労務士の業務を衰退だの求められていないだの面白くないだの不平不満ばかりをいう人も中にはいますが、真っ当で健全な経営者をこの広い世の中から探し出し、適切で心の通ったサービスを提供すれば間違いなく喜ばれる仕事です。それを実感できるからこそ、飽きっぽい私が飽きもせず、続けることができています(ただ、私が興味のある仕事に集中できているのは、基幹業務で、安定的な供給が必要な手続きや給与計算業務などを担ってくれている職員のお蔭です)。

この仕事が面白くないという人は、つまり「人に関心がない」「人と関わりたくない」と言っているのと同じことですから、どんな仕事をしてもタカが知れているでしょう。

誰に相談したら良いか真に困っている経営者や人事担当者の方々に、「望まれる個別支援」を提供していくこと

さらに、普段の何気ない対話から、問題の早期発見とその対策・予防策を提供していくこと

どんな時代の変化があろうともこの姿勢だけは自分の思い(初心)を失わないためにも守っていきたいと思います。

養父 真介

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